miyumiyuのかけら

自称ベテラン主婦の恥しらずな日常のかけらを並べます

黙ってればわからない、と言った母

私が二人目の出産をする為に九州に里帰りした時の話だ。

 

上の子は3歳になったばかり。私は当時関西に住んでいた。本当は里帰りしたくなかったが、夫が協力する気がないのがわかったので、上の子の事を考えて、やむなく実家に帰った。

 

臨月になり、医師からは「いつ生まれてもいい状態です」と言われていよいよと思っていた頃、兄が転勤になったと連絡があった。まだ独身で荷物も少なかったが、遠方への異動だった。

母が、引っ越しの手伝いにいかないと!と父を誘った。夫婦二人で兄のいる関西まで行こうと言うのだ。30歳すぎてる独身男が心配だと。二人で行ってやらないと大変だろうと母が騒いでいた。

 

私と3歳の娘を置いて、誰もいない間、もし産気ついたらどうなるの?もし、私に何かトラブルがあったら、娘の世話は?と、私はパニックになった。

 

「これじゃあ、帰省しない方がよかった。なんのために実家に帰ってきたのか意味がない」と訴えた。父は、男尊女卑があり、お産のことは病気じゃないと軽く思っているし、お産の事はわからない、と母が大丈夫というならそうなんだろうと、無関心。

 

私は母の弱みをついてこう言ってみた。「もしトラブルがおきたら、救急車よんだり、近所の人に助けてもらうことになる。そしたら、臨月の娘と幼い孫を置いて、夫婦とも遠方にでかけるなんありえない、と非難されるよ。そうなってもよいのか」

 

すると、母はこう言い返した。

「何がおこっても、お前が誰にも言わなければわからない。どこにも行くな、誰にもあうな。この事は誰にも言うな」

にやりと笑っていた。

 

私の出産よりも、兄の引っ越しが心配だったのだ。兄は2人がくると知らなかったので、私を置いて両親がきたのには、ショックを受けたようだ。母が「大丈夫、大丈夫」とごまかしたらしい。私が行ってあげてと言ったと嘘までついていた。

 

誰もいない3日間、私と子供は不安な時間をすごした。子供がいなければ、私は関西に帰っていただろう。いっそ留守中にトラブルがおきたらよいのに、と思ったが、巻きこみたくなかったので、我慢するしかなかった。

 

その後、無事出産したのだが、産後の母の嫌がらせ的な態度によって、無理をさせられ、ついに大出血をおこしてしまう。

 

実家のトイレで止まらぬ血を見て、死ぬかもしれないと思いながら、青い顔をして病院にいきたいと言っても、母は知らん顔。結局タクシーで、一人病院へいき、処置してもらったが、すぐには回復しなかった。

 

ストレスが原因なのか、なかなか出血がとまらないのに、体調の悪い私に家事をさせ、娘を抱っこさせた母。そして、毎日

「いつまでたっても産後の肥立ちが悪いなんて世間体が悪い。まるで私の世話の仕方が悪いみたいじゃない。みっともないから、早く家に帰れ」

と言われた。

夫の実家から、「なかなか帰らないのは、嫁が親にちやほやされて、甘えているんじゃないか、体調が悪いのならだめな嫁だ」と嫌味な電話がきた。夫もかばうどころか一緒になって嫌味を言った。

 

母が、「体調悪くないですよ。すぐに返します」と返事していた。

 

そして、ほら、お前がそんなだから嫌味いわれただろう。早く帰れとまた言った。

 

 

私は、貧血でふらふらで、授乳で睡眠不足、上の子の世話をしながら、誰も守ってくれる人のいない世界にいた。孤独で、何でこんなに頑張らないといけないんだろう。

私が人生の選択を間違えたからだ。やり直したいとつくづく思った。

 

帰宅後、無理がたたり、パニック障害、難聴になり、体重が40キロをきった。

 

 母は、電話で父親やおばの悪口を私にぶつけるのが習慣で、ストレス発散に利用していたが、私の体調をきいても、ふうん、お前だけ何でそうなんだと他人事。そしてくどく言われたのが、

 

「そこで何があっても、実家に帰るな、近くにくるな。世間体が悪い。孫の世話なんか絶対しない。」である。

 

 全く実家には関係ないのに、私がパートにでるのも反対する。さんざん父を憎んでいるかと思ったら、父が嫌うからと理由をつける。

 

 おそらく、いつでも自分の都合よく使うために私の行動をコントロールしたかったのだろう。

いぬのきもち

ブラニカ